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わからないこと
橋下市長が理解できない楽しめないモノには価値がない必要ない的な発言をしてらっしゃるらしいですが、我々の仲間内でも、けっこー前から議題に挙がってることでして、このたびちょっと忘れてたくらいのところを、あらためて考えさせられましたのでした。
といっても、もちろん人形浄瑠璃のことではなく、コンテンポラリーダンスに関してです。念のため。(人形浄瑠璃は守られるべきですが、主催者側がもっと様々なアプローチやパッケージングをしてもよいのではないかな、世界に誇る日本の人形(使い)文化ですし)
というのも、コンテンポラリーダンス(や、コンテンポラリーアート)には解説を詳しく聞かないと意味不明な作品が多々あると見受けられるからです。カワムラ近辺の人々はそういった作品をばっさり神様系作品とよんで、それらの作品に対し考えたり挑んだり嫌悪したりリスペクトしたり、といろんな形で取りくんで来ました。神様系というのは神村恵さん系という、かなり荒っぽいくくりです。(神村さんとは伊藤キムさんのところでいっしょに活動した経緯もあり、愛と尊敬と友愛を含めてこのように揶揄させていただいております)。
神村さんは見た目こそ地味で(なでしこJAPAN系で)この人がダンス?っていう風貌なのですが、幼少からバレエをされ、オランダにダンス留学してるほどバリバリのダンス人なのですが、作品の中にはいわゆるダンステクニックはまったく見られません。なんというか、これまたばっさり例えると、美術館の中庭に巨大なゴツゴツした石があって一部分キレイにツルッとくり抜かれたものがあってタイトル“虚ろ”みたいな、そんな存在なのです。そういった現代抽象彫刻もかなり難解なものと思うのですが、なんというかそういったものたちは市民権を獲得しており(いちおう)、道端やら駅前やら公園やらいろんなところで目にします。
日本で、ダンスにおけるそういった現代抽象彫刻みたいな作品が市民権を獲得する日がくるのでしょうか?
さてさて。理解できないもの=勉強しないと楽しめないモノにも価値はあるのか?です。
先の橋下市長の発言を受けて、人形浄瑠璃に限らず、オペラや歌舞伎・能、様々な分野に影響が及ぶのではという懸念がされておるところですが、そうすると、トヨタコレオグラフィーアワードなんかも、コンテンポラリーダンスの下地のない人たちから見たらほとんどが“わからないもの”というモノで占められていると思います。(以前、同アワードの表彰式でトヨタの方が、「こういうわけわからないものにもお金を出すということも大事なんですよね、きっと」という感じのことをおっしゃってた。半分は懐疑的に、半分は参加者の熱意に得心しつつ)

こーゆー時代です。

すべてのモノにその本質が問われるのでしょう。必要か否か。少数の人に必要なら、多数が犠牲(?)になっても仕方ないのか。




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