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集団創作〜初期型というグループでものをつくるということ〜
作品を作り続けるってのは、ほんと大変です。作品発表し始めの20代30代前半は学生時代からの感性の貯金(インプット)で一気に新作を発表してきたように思います。そして30代半ばも過ぎ貯金がなくなってきたなぁ、、、というときにこの、現代劇作家シリーズと出会いました。5年前です。

現代劇作家シリーズという新しいステージは、今までの自分のスタイルを駆使しつつ、新しい自分の表現スタイルを構築する格好の実験場でした。課題戯曲も、イヨネスコ「授業」、アラバール「戦場のピクニック」、寺山修司「青森県のせむし男」、サルトル「出口なし」、そして今回のベケットの「芝居」。方向性、哲学、思想、前衛性、ここまで多岐にわたるレパートリーすべてを持っている劇団も少ないと思います。いい意味でd-倉庫さんに右往左往させられてます。
ちょうど2010年に結婚して活動スタイルの転換期を迎えたところからこのフェスに参加し、また、初期型としても新しいメンバーを迎え、この頃は新しずくめでした。

新しいスタンスで活動を始めたといっても、作風が大きく変わるわけでもなく、作り方も極端に違う感じではありません。作品発表当時から集団創作的な空気はありましたし、明確なトップダウンではなかったと思います。ただ、以前はほとんどカワムラ発信でダウンしてそっからの跳ね返りを何度か繰り返して作るという感じだったのですが、昨今で大きく違うのはそこらへんかなと。戯曲フェスでいうと、まずd倉庫さんからの戯曲が提示され(発信)、それを誰かがレシーブ、誰かがトス、スパイク。カワムラからのトスももちろんたくさんありますが、ブレーンのもっしゅ氏などはレシーブから直接スパイクをばしばし決めたりもします。

へんな例え(だし、的確ではないかもだし、間違って伝わるかもですが、こういう瞬間は確実にあります)ですが、わかりやすく言うとこゆことなのかなと。

、、、、、と、と、わかりやすく簡単にバサッと言いましたが、これってすんごく大変なことだし稀有な状態だと思います。(こっから本題)まず、
■大人じゃないとナカナカできない→お互いを認めつつ自分を主張みたいな
■ポジティブ思考じゃないとまったくリハが進まない→ブレスト的な話し合いから多くのものが生まれます
■そこそこ付き合いが長くないと難しい→メンバー核となる4〜5人には共通言語が必要になる
■スケジュール調整→様々な背景を持つメンバー同士が少ないリハ時間でもやろう!という心構えと、それに対する知恵を出し合い、むしろ武器にするくらいの開き直り

そういう集団創作です。集団創作は無責任という意見もありますが、たしかに単なる責任転嫁のナアナアな集団に陥る団体もあると思います(たぶん学生に多い)。ですが初期型は上記のような、んー、バンドのようなところがあるので、お互いに頼りつつ、引っ張りつつ、個を出しつつ、そんでグルーヴを生むという作業が成立させているのだな、と思います。

QUEENというバンドが好きです。フレディというカリスマフロントマンがありながら、他のメンバーが埋没していないグループ。様々なジャンルを取り込んだ楽曲、当初シンセサイザーを使いません!と言ってたくせに一転ガンガン使うというフットワークの軽さ。PVも好き(特にhttps://youtu.be/f4Mc-NYPHaQは最高!)4人バラバラっぽい趣向(価値観)なのに1つにまとまってるという(しかも未だ解散してない)。初期型というグループもそういうものでありたい。
そして、もっと言うと社会という大きなグループもそういうものでいてほしい。すんごく広く捉えてもらってもいいけど、中ぐらいんとこで、例えば劇場。劇場では様々な価値観がひしめき合ってます。いろんな団体が価値観を発表してます。先の現代劇作家シリーズはわかりやすく価値観の相違を楽しめ、共感したり、分かり合えない悲しさや憤りとかも生まれるのかもしれないけど、そゆの全部ひっくるめて面白いと思うんです。作品ていうのは、ある人(グループ)の価値観の結晶なので、劇場または美術館などで作品に出会い、自分の価値観とぶつかり合うことが社会における集団創作なんじゃなかろーかと思うんです。人が劇場行ったり、美術館行ったり、初期型が作品発表すること、しいては社会における人間の活動全部が集団創作してると言えなくもないかなと。

“虚無”「お前のパフォーマンス、やる意味あんの?」
カワムラ「わかんないっす」

多くの人が日々、自分の価値を曲げたり折ったり殺したりして無私無心で働いてて、そういう人らの心にどんだけ作品というカタチの“声”が届くのか。届かぬ声、見られぬパフォーマンスにやる価値あるのか。余暇的に“創る”みたいなことを考え、発表して、世の残酷さや不条理さと対峙できるのか。

価値観って偏見と表裏一体なとこあると思います。そして、芸術(アート)の役割は人の心を自由にすることだと思います。生きてゆくと自然と知識・経験は増えるけど、心の自由さは増しているのか。1つの発見・理解が次の日には偏見だった、了見が狭かった、、、と気付くこと多々あります。知識の増加≠自由さの増加。日々、価値観を更新していくことが、心の自由なんだと思います。(小さな小さなアップデートでも)

初期型というグループで“集団創作”することは、僕自身の心の自由を求める欲求とつながってて、初期型(及び、初期型作品)にはそういう心の自由を求める人間が集まってくるだと思います。


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